ヤマダランド・T

短い小説を書いて置いておくところ

砂上の楼閣

 いつからだろう、履歴書の特技の欄を埋めることができなくなっていた。

 

 思えば僕は器用な奴で、子供のころからできないことは何もなかった。スポーツ、音楽、絵画、なんだってそうだ。この世に溢れるセンスを、願えば手に入れることができた。

 僕は模倣が上手だった。なんだって一度やり方を見ればそれを完全に再現することができた。その姿を見て人々は口々に僕のことを天才だとかなんとか囃し立てていたけど、僕にはピンとこなかった。だって、ただ同じ動きをすればいいだけじゃないか。悪い気こそしなかったけど、褒められること自体納得いっていなくて、こんなに簡単なことで褒められるならお前らもやればいいじゃないか、と心の中でいつも思っていた。

 それでも僕の模倣者は現れなかった。そうなると疑心暗鬼だった僕も次第に、この能力が実は凄いものなのではないかと思い始めた。その頃にはこの能力を惜しみなく使うようになっていて、僕は正解の道をただひたすら突き進む人生を送るようになった。何をやっても一等賞。何をやっても褒められる。女の子にだってモテた。ちょっと気まぐれで凄い話術を持つ芸人のマネごとをしてみた所、更にモテた。その頃の僕には、怖いものなんて何ひとつなかった。

 

 怖いものなんて、何ひとつなかったはずなんだ。

 

 月日が流れ、僕は大学生になった。二十歳になり、酒を嗜むようになった。この世には勝利の美酒なんて言葉があるけれども、今後の人生で飲む酒は全て美酒なのかな、なんて自分に酔うのがたまらなく楽しかった。

 大学生になっても相も変わらず能力を使って無双していた。大学の過去問でどうとでもなる環境は僕によく合っていて、ロクに講義にも出ずに散々遊び呆けても、能力さえあれば過去問を一度読むだけで満点が取れた。一夜漬けどころか、三十分前漬けで僕には充分だった。

 

 そう、順風満帆だったはずなんだ、ここまでは。

 そう、この頃だ。僕の人生を変える出来事があったのは。

 そう、忘れもしない。暑い夏の日。七月二十八日。僕は紗英と出会った。

 

 紗英は同じゼミに所属していた子で、僕をいつも目の敵にしていた。何でもできるからこその嫉妬を受けることはこれまでもよくあったので、彼女もその才能なき有象無象の一人だと思って特に気にも留めていなかった。

 憎悪を受け取るだけのなんてことない関係が続いていたある日、偶然ゼミ室に二人きりになる機会があった。暇を持て余した僕はちょっとした興味本位で彼女に何故そんなに僕を嫌うのかを聞いてみた。僕は嫉妬の言葉が返ってくるのを期待していた。多くの人は知らないかもしれないが、分かっていて受ける嫉妬ほど気持ちいいものはない。

 僕はねじ曲がっていた。それが能力故になのか、産まれながらにしてなのかは分からなかったけど。

 ただ、彼女が嫌悪感たっぷりに紡いだ言葉は想定外のものだった。

「あなたにはあなたが何も感じられない。それが気味悪いの。」

 彼女はそう吐き捨てると部屋を出ていった。僕は悪口を言われることにはこれまでの人生で慣れていた。でも、『あなたが何も感じられない』というのはどういうことなのか。そもそもこれは悪口なのだろうか。普段は特に人の発言を気に留めない僕ではあるが、彼女の不思議な言葉だけは、しばらくの間頭の片隅に引っかかっていた。

 あの後言葉の意味を三日三晩ほど考えてみたが、結局よく分からなかった。こんなにも頭を悩ませるのは初めてで、僕は産まれて初めてイライラという感情を心の中に飼うことになった。

 

 結局、不本意ではあるが僕は彼女に再度尋ねることに決めた。

 

 彼女は相変わらず敵意をむき出しにしてくるけれども、それでも完全無欠の僕が悩んでいることに多少気を良くしたのか、しばらくしてから口を割った。

 結果から言えば、彼女の言葉は、僕が生涯忘れることはできないものになった。

 

「あなたの全てが何者かによって構成されているように感じるの。あなたの中にはあなた自身が産み出したものが何も見えてこない。あなたというオリジナルは、どこにもない。だから気味が悪いの。あなたは、誰なの?」

 

 衝撃。頭の中を駆け巡る。くるくる回る。回る。まわる。まわる。まわる。

 頭をガツーンと殴られたような気分になった。それもそうだ、完全無欠だったはずの僕の全てを、否定されたのだから。そしてそれは、正しかった。

 僕は、僕ではなかった。ただの思念体が肉人形を被っただけの、空虚な入れ物だった。僕が今まで築き上げたと思っていたものは、ただの幻想だった。僕は、何も築き上げちゃいなかった。

 絵が得意だと思っていた。でもそれは、僕が通っていた中学校の美術教師が絵を描くのが得意だっただけだ。

 サッカーが得意だと思っていた。でもそれは、小学校の時の友達だった吉田が得意だっただけだ。

 ピアノが得意だと思っていた。ゲームが得意だと思っていた。小説を書くのが得意だと思っていた。人付き合いが得意だと思っていた。でもそれらは全て、これまでの人生で出会った誰かが得意だっただけだった。

 自分自身が得意なものは、何もなかった。僕はこれまでの二十年間で何も築き上げてはいなかった。僕は赤子同然だった。

 僕をここまで連れてきてくれた能力、唯一無二の能力は、その実僕を最も人間から遠い所へと運んでいっていたのだった。

 

 そこからのことは、よく覚えていない。ただ気づいたら僕は何もできない、自我もない、ただのモノに成り果てていた。こうして僕は、社会的に死んだ。

 でも、そのずっと前に、もしかしたら産まれた時に僕は、人間的にも死んでいたのかもしれない。

 

 僕という人間は、たったの二〇年の間に、二度の死を迎えたのだ。